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Page36 「自分が何者か分からなかった4年間」 藤田航大

ココロノオト~seazon4~


正直、ずっと書くのをサボっていました。


理由は単純で、

大学サッカーを振り返ると、

怒られた記憶と、いじられた記憶しかなく、これまでのサッカー人生を振り返ることが嫌だったからです。



入部当初、同じ高校の竹下がいました。

正直、それだけで少し安心していました。


……はずでした。




ある日、なぜか竹下が

「こいつ、タイ人とのハーフ」

とみんなに言い出しました。


意味が分かりませんでした。


訂正しようとは思いました。

でも、周りも

「あ、そうなんだ」

みたいな空気になり、

気づいたら否定するタイミングを完全に失いました。


それ以来、

自分が何人なのかよく分からないまま、

“タイ人ハーフ疑惑のセンターバック”として

大学サッカーが始まりました。





大学ではU20からのスタートでした。


正直、

「大学でも余裕でやれるやろ」

と思っていました。


甘かったです。

何も通用しませんでした。


U20には、

Jクラブの下部組織出身や、全国常連の有名高校出身ばかり。



同じ“大学1年生”なのに、

背負ってきたものの重さが違いました。



アップの時点でレベルが違いました。


止める、蹴るの質。

体の大きさ。

声の迫力。


全部が自分より一段階上でした。


みんなが大きく見えました。

というか、先輩に見えました。


最初の頃、先輩だと思って、普通に敬語で話していました。



後から聞いたら、同期でした。

そのとき初めて、

「あ、自分めちゃくちゃビビってたんやな」

と気づきました。


でもそのくらい、差を感じていました。







よく「努力は裏切らない」と言いますが、

僕の努力は、普通に裏切ってきました。



しかも一回じゃなく、何度も、しっかりと。


練習でうまくいったことが、試合では通用しない。


手応えを感じた次の日に、

普通にメンバー外。


裏切られすぎて、途中から

「今日はどんな裏切り方してくるんやろ」

と、少しワクワクしていた自分もいます。



試合に出られない。

評価されない。

うまくいかない。

怒られる。

いじられる。



何者か分からなくなりました。


“タイ人ハーフ疑惑のセンターバック”という

よく分からない肩書きだけが残りました。





それでも続けた理由は、

夢でも情熱でもなく、意地でした。


「ここで辞めたら、

自分が何者か分からないまま終わる」


「もったいない」


そう思ったからです。


周りと比べて落ち込む日も多くあったし、

正直、何度も逃げたくなりました。


でも、

下を向いたまま終わるのだけは嫌でした。




自分は何が足りないのか。

どうしたら試合に出られるのか。

どうしたら評価されるのか。


ずっと考えていました。



ヘディング。

ラインコントロール。

ビルドアップ。

対人。



身体の強さも、判断の速さ、技術も、

全部足りないと思いました。



だからこそ、

“どうやったら上手くいくのか”を、

考えるしかありませんでした。




でも途中で気づきました。


上手くいく方法は、教えてもらえない。

 


自分で考えて、

失敗して、

修正して、

また考える。



これを繰り返すしかない。



4軍から、

少しずつ、

本当に少しずつ上がって、

気づけばCUに上がることができました。



そして、

あのとき敬語で話していた同期と、

同じピッチに立てたとき、

やっとスタートラインに立てた気がしました。





社会に出たら、


ヘディングの打点が高くても

給料は上がらないし、

ビルドアップができても

上司の機嫌は良くならないし、

ラインコントロールが完璧でも、

人生はコントロールできません。



サッカーそのものが

直接役に立つことは、ほぼありません。




でも、


“上手くいくために考え続ける力”は、

どこでも使えると思っています。



正解は誰もくれないし、

うまくいかなくても

誰も止めてくれない。




だから結局、

生き残るのは

上手くやれる人じゃなくて、

上手くいくために考え続けられる人だと思います。





僕は、

ミスして、

びびって、

自信を失って、

何者か分からなくなって、

それでも

「じゃあ次どうするか」を

考えるのをやめませんでした。


カッコよくはなかったし、要領も良くなかったです。



でもその時間、「考える癖」を自分に残してくれました。



タイ人ハーフ疑惑から始まった大学サッカーでしたが、



最後は、

ちゃんと自分が何者か、少し分かった気がします。



今思い返すと、

いい思い出ばかりではなかったですが、

いいサッカー人生を歩むことができたし、

やり切ったと自信を持って思えるサッカー人生でした。





(両親へ)


ここまで何一つ不自由なくサッカーを続けさせてくれて、ありがとう。


スパイクも、遠征費も、部費も、

「当たり前」みたいに用意してくれてたけど、

あれ全部当たり前じゃなかったです。


試合に出るかも分からないのに、

遠くまで見に来てくれて。


 

本当は、結果で恩返ししたかったです。



試合で活躍して、

ヒーローになって、

安心させたかった。




でも、


派手な親孝行はできませんでした。



試合開始のホイッスルが鳴り、

競り合いの着地をミスって、

救急車で搬送。

トータル10秒。


親孝行どころか、

心拍数だけ上げました。





僕のサッカー人生は、

かっこよくはなかったけど、

最後まで立ち続けました。



これからは、


10秒で救急車に乗らない人生を送ります。

逃げずに、最後まで立っていられる人間になります。

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