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Page37 「失敗のその先に」光本和馬

ココロノオト~seazon4~


こんにちは。トップチームの光本和馬です。


いざ引退ブログを書くとなると、書くことが多すぎて何から書けばいいのかわかりませんが、自分なりに大学サッカーで経験したこと、伝えたいことを振り返りながら書いていこうと思います。もしよければ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

その前に、大学に来るまでの自分のサッカー人生を少し振り返ります。

自分のプレースタイルが本当に見つかったのは中学のときでした。当時、自分が行きたかったクラブチームに入ることができず、プライドだけは高かった自分は「もうサッカーをやめようかな」と本気で思っていました。

そんな中、親が探してくれたいろんな繋がりの中で出会ったのが刈谷81でした。

そこは、自分が今までやってきたサッカーとは真逆のチームでした。

毎日2時間ドリブル、1vs1。個人技に特化したチームで、全員が同じ中学生とは思えないくらい上手かったです。

ドリブルが好きで入ったはずなのに、毎日同じ練習の繰り返しに耐えられなくなった自分は、宮川くんや長坂くんと「お腹が痛い」と嘘をついて更衣室に逃げてゲームをしたこともありました。遠征先で禁止されていた炭酸ジュースをこっそりトイレで飲んでバレて、永遠に坂道ダッシュをさせられたこともありました。

今思えば、この時からアホでした。

でも、あの3年間があったからこそ、自分は個人技を磨くことができ、チームとしても愛知県で優勝することができました。

心から「このチームに入ってよかった」と思えました。その経験があったからこそ、いろんな高校から声をかけていただき、中京大中京に進学することができました。

選手権で活躍するならこの高校だと思い、覚悟を持って入りました。たくさんの試合に出させてもらいました。

順調でした。でも、自分の代の最後の選手権で腰に大怪我をしてしまい、何もできないまま終わりました。あれ以上に悔しい終わり方はなかったと思います。


その悔しさをぶつけて大学行ってプロになると決め、大学でもサッカーを続けることを選びました。

高校まではトップチームで試合に出続けていたので、正直、大学でも「まあ普通に上でやれるやろ」と思っていました。

甘かったです。

スタートはU20。

しかもベンチ外。

「自分が出たら点決めれるのにな」と謎の自信はありながら、ピッチの外から見る景色はとても悔しかったです。

何もできないし、初めての経験であの悔しさは今でも忘れられませんでした。

でも、U20の仲間は最高でした。

部活でもプライベートでもずっと一緒でした。

試合に出られなくても、練習に行くのはめちゃくちゃ楽しかったです。

そのおかげで少しずつ自分のプレーを出せるようになり、後期リーグでは出場を重ねて結果も出せました。

そして1年の最後、やかびとひろしと一緒にトップチーム昇格しました。

インカレにも出場でき福大や筑波大戦にも出られました。ひろしがpk外してそのあとやかびが決めて勝った時はホッとしました。

3人で張り番をつけて、ひろしは張り番なのに普通にスタメンでバリバリ活躍。自分とやかびは途中出場でだいたい何かしら珍プレーをする。今思えば、あれも楽しい思い出でした。しかし最後の新潟医療戦でコロナで行けなかったのは悔しかったです。

当初U20のベンチ外だった自分からは想像もできない1年目でした。

U20のみんなには本当に感謝しています。

できることなら、もっとみんなで一緒にやりたかったです。



そして2年目。トップチームスタート。

「今年こそやるぞ」と思った矢先

1週間で遅刻2回。

終わりました。

見事に下のチームへ降格。

しかも怪我もしていてサッカーすらできない。

やることは掃除とサポート。

ほぼマネージャーでした。いやマネージャーでした。トップともう一つのチームのサポートは、正直めちゃくちゃきつかったです。

あの時の自分は、たぶん人生で1番掃除とボールを拾いをしました。

なんとかサポートと怪我を乗り越えて吉井さんのもとでU20として復帰。

周りはほぼ後輩。

「絶対馴染めんやん」と思っていましたが、

みんな優しくて、気づいたらめちゃくちゃ仲良くなってました。かわいかったです。

ただ一つ問題がありました。

先輩が俺・ちひろ・けいまの3人でした。

つまり、飯行くなら誰かが奢りでした。

みんな仲良くなったら練習終わったらほとんどカズマくん飯いきましょでした。

特におにけん。

食べ放題では全然食わないくせに、単品の店に行くと覚醒。

あの時は本気で「しばいたろかな」と思ってました。ちひろは奢らず即帰宅。けいまは自主練。あいつらは賢かったです。


U20でも吉井さんはしっかり自分を見てくれてそこで結果を残すことができて夏前にトップに復帰できました。あの時は本当に嬉しかったです。「やめなくてよかった」と心から思いました。でも、またミスをしてしました。

信頼して戻してくれたのに、また自分のミスで落ちてしまいました。情けなさと申し訳なさでいっぱいでした。

そしてまた掃除とサポートの日々。

真夏の中、部活が終わった後にトレーナーのそうたと毎日走り込み。メニューも作ってくれて、本当に感謝しています。

そのおかげで、そうたもYo-Yoが1300いったのはびっくりしました。

たぶん俺より仕上がってました。でも本当に感謝しています。


そしてなんとか最後のチャンスということでu20で復帰しました。

U20で11試合連続ゴール。

「絶対戻る」と決めてやり続けました。

そして、ついにトップチームに上がりました。

した瞬間に相手のデススラで足首骨折。

漫画かと思いました。

2年目、終了。

本当に濃すぎる一年でした。こんなサポートや掃除があるとき、当初そばで支えてくれた方本当にありがとうございました。

でも、この一年があったから、自分は少しだけ強くなれたと思います。


大学3年目。

なんとかトップチームとしてスタートすることができました。

「今年こそ、サッカーに集中したい。」

そう思っていたシーズンでした。

でも、この年は怪我との相性が最悪でした。

2年生のときは怪我で行けなかった和歌山遠征。やっと行けると楽しみにしていたのに、到着2日目で発熱。まさかの実費で和歌山から電車で帰宅。痛すぎました。

ある意味最高のスタートダッシュでした。

その後なんとか試合に出場し、愛知選手権や天皇杯にも出場。

目標だったジェフ千葉との試合も決まりました。

でも、試合の1週間前。

もも裏の肉離れ。

出場できませんでした。

高校のときもそうでしたが、自分はなぜか「大事なとき」に怪我をします。

この試合は本当に楽しみにしていたので、あの悔しさは今でも忘れられません。

正直に言います。

自分はストレッチが嫌いでした。ほとんどやっていませんでした。

もしかしたら、それが原因かもしれません。

現役のみんな、嫌でもストレッチはやってください。本当に。

復帰して少しずつ調子を上げ、夏の総理大臣杯へ。その直前に、また怪我。

もう笑うしかなかったです。

「日頃の行いが悪いんかな」と本気で思いました。怪我に何度もチャンスを奪われました。

その後、怪我が治って後期リーグへ入りましたが、コンデションが上がらず思うように体が動かず今度はメンバー外が続きました。あのとき部活が嫌すぎて遊んだりしてサッカーを辞めようと思ってましたが練習後先輩がご飯に連れてってくれたり同期と飯で色々話したりその時間に何度も救われました。そのおかげでやめずに最後のインカレでは試合にも出ることができました。3年目は、苦しかったけど、人の温かさを一番感じた一年でした。

気づけばもう4年生。

自分にとっては、最後の年でした。

「ほんとにラスト頑張ろう。」

そう決めて迎えたシーズンでした。

スタートは悪くなく、愛知選手権でもリーグ戦でも点を決めれて良いスタートでした。

3年生で怪我により出られなかった天皇杯も出場できてツエーゲン金沢ともやれました。

でも、ボロボロにやられました。

そこから辺から就活のことも考えだして自分の中で何かが燃え尽きてしまいました。そして総理大臣杯もベンチ外。

気づけば、プロになることも諦めていました。

「何のためにサッカーをやっているんだろう」

「誰のために続けているんだろう」

試合に出られなくても、悔しさすら湧いてこない。その状態でやるサッカーは、全く楽しくありませんでした。練習いけば吉井さんに怒られるし試合にも出られないし、何もかも中途半端でした。後輩のみんなには四年生らしい姿を見せれなくて本当に申し訳ないです。

同期のちひろ、りょーた、しげも同じように悩んでいました。

練習後になか卯で色んな話をした時間はいい思い出です。

そんな中、しげがサッカー部をやめました。

悲しかったし最後まで一緒にやりたかったです。でも、しげの気持ちも痛いほど分かりました。

その時、自分は思いました。

「しげの分まで、最後までやり続けよう。」そこから、自分はもう一度考え直しました。誰のためになんのためにサッカーをしているのか。

同期のためや後輩のためやずっと応援してくれている家族のために頑張ろうと思いました。

そう決めてから、少しずつプレーが戻ってきました。

試合にも出るようなってリーグ戦でもたくさんゴールを決め、なんとかラストのインカレまで試合に出ることができました。

このトップチームのみんなとサッカーができた時間は、間違いなく自分の誇りです。

ちなみに大重くんは違う道で輝いていたので安心しました。


ここからはスタッフ、後輩同期家族に書いていきたいと思います。


スタッフの皆さんへ


こんな自分を、最後まで見捨てずに厳しく指導してくださり、本当にありがとうございました。

特に吉井さん。

1年生の最初から4年生のラストまで、ずっと自分を見続けてくれました。


何回怒られたか分かりません。

正直、吉井さんに怒られる夢も何回か見ました。でも今ならあれは自分への期待であったんだと思いました。あの厳しさがあったから、何度落ちても這い上がれました。でもPK練習で自分がおおふかしで外した時は少し言い過ぎな気もしましたが笑

おかげで社会人になっても、諦めずにやり続けられる自信があります。

とみさん、てつさんも、練習中にいじってくれたり、シュート練習でちょけたり、ありがとうございました。あの空気に何度も救われました。

マネージャーのみんなも、本当にありがとう。

自分もサポートを経験したからこそ分かります。

真夏も極寒も、嫌な顔せず文句ひとつ言わず支え続ける姿は、正直、選手より強いと思いました。

なゆみ、あきあ、そうた。

みんな本当にありがとう。

来年も最後まで、みんなを支えてあげてください。



後輩のみんなへ

正直、後輩というよりほぼ同期みたいな関係でした。部活外でも一緒に飲みに行ったり飯行ったり。みんなのおかげで最後まで楽しくやり切れました。よしと、2個下なのにめちゃなかよなったしなんならなめてたし、りんは泣き虫やし、おだむらは尖りすぎてるけど、ほんとはめちゃくちゃいいやつやし、あゆむはラスト一緒にローパワーで励ましてくれてありがとう。

他のみんなとの思い出は書ききれないのでまたいつも通りご飯行った時に話そう。

おにけんはまぁいいや。

かいき、ときと、ゆめと、じゃんぼとかは怪我で苦しい時期が多くて焦る気持ちとかあると思うけど、絶対大丈夫だし叙々苑連れていくから頑張って試合出てね。絶対見に行くから。

TOPのみんななら、中京をもっと強く、もっといいチームにできると思うので楽しみにしてます。多分自分はいつものあそこにいるんでまたあそこで会いましょう。



同期へ

まじで、最高の同期でした。もう毎日のように一緒に遊んだり飯行ったりできないと思うと正直寂しいです。だから定期的に絶対集まりましょう。

やかび、ひろし、けんいち。1年の頃からずっと一緒で、ほぼ家族みたいな感じでした。けんいちは本当にガキで、俺が面倒見てやってたけど、熊本でちゃんとやっていけるか少し心配です。

ひろしとけんいちがプロの練習に行ってる間、やかびと夜ご飯作って、ゲームして、飲んで映画見て。

今思えば一緒にいすぎて気持ち悪いけど、

あの時間はめっちゃたのしかった。

ほかの同期のみんなにも何度も救われました。

プロ組厳しい世界だと思うけど頑張ってください。シゲと応援行きます。社会人組、一緒に経済回そう。



最後に家族へ

お父さん、お母さん。まずは本当にありがとう。4兄弟でお金もかかる中、不自由なくサッカーをやらせてくれて、全国どこでも応援に来てくれて、本当に嬉しかったです。

そして期待に応えれなくて申し訳ないです。

でも、最後まで本気で応援してくれたこと、一生忘れません。

どんなに自分がやらかしても、どんなに調子が悪くても、いつも味方でいてくれました。

だからここまで続けられました。

これからは社会人として、この22年間で支えてもらった分を少しずつ返していきます。

次は自分が2人を支えれるように頑張ります。2人とも健康に長生きしてくたざい。

弟2人へ。

小さい頃から自分のサッカーに振り回して申し訳ない。それでも全国大会に応援に来てくれてありがとう。今は消防の勉強とか学校で大変やと思うけど、お父さんお母さんを困らせないように、しっかり頑張ってくれ

おじいちゃん、おばあちゃん。

たくさん応援に来てくれて、たくさんお小遣いもくれて、本当にありがとうございました。

大好きです。



この4年間、うまくいったことより、失敗のほうが多かったかもしれません。

でも、その全部があったから今の自分があります。関わってくれたすべての人に、心から感謝しています。サッカーは一旦一区切りですが、自分の人生はまだまだ続きます。次は社会人として、またアクセル全開で走ります。

4年間本当にありがとうございました。