#45〜甘くない世界〜4年中村恒介
『NO SOCCER, NO LIFE』のテーマをもとに4年生それぞれサッカーに対する思いを綴ってもらっています。
本日のブログは中京大学FC所属 中村恒介選手(佐賀東高校出身/4年)です。
私がサッカーを始めたのは小学四年の時でした。特にサッカーが好きで始めたわけではなく、周りの選手のように「プロサッカー選手になりたい」という目標もないまま、ただ淡々とボールを追い、走り回っていた。
自分で言うのもなんだが、自身の能力の高さを知ったのは中学生の時だった。中学一年時まではFWやボランチをやっていたが二年時になった際にセンターバックへと移転した。そこで自分の守備力の高さを知り、県選抜、九州選抜に入ることができ多くの舞台で結果を出すことができた。その結果が認められ佐賀県では全国常連校である佐賀東高校に進学することができた。一年時からトップチームでプレーさせてもらうことができ、二年時、三年時ではスタメンとして全国大会に四度も出場することができた。この頃から私は「プロになりたい」と思い始めるようになった。全国でもある程度は通用している自分を見てプロになれる自信はあった。しかし、いざ、県外に出て他県の選手と一緒にプレーしてみるとそんなに甘いものではなかった。
中京大学に進学することになったのも高校での実績が認められ、スポーツ推薦で入学することができたからである。自分の大学サッカーの人生設計では当たり前のように試合に出て、順調にいくと考えていた。だが、そんな高望みも一年で自分の力の無さを実感することになった。全国に出場した選手はざらにいて、試合に出ることはもちろん、メンバーに入ることすら容易ではなかった。その頃からプロになりたいという夢も頭の中からすっかりと消え、ただ日々の練習を取り組んでいただけだった。二年時ではCFCに所属することができ、公式戦には何度か出場することができたものの安定しているかといわれればそうでもない。一年間のうちの2/3は何もしていない。そこでコーチ陣に言われたのがやる気に波があることだった。それは自分でも気づいていた。三年時は新型コロナウイルスでサッカーができる期間は少なかった。自分たちが主体となって挑んだ愛知選手権。そこに出場した私は試合に出れる喜び、出るための苦労を再び味わうことができた。最後の一年はできるだけ上のチームでプレーしたいという一心でシーズン終わる前のサッカーにすべてをかけた。そして現在CUでプレーすることができている。今はまだチームにふさわしい働きはできていない。もっとがむしゃらにサッカーに取り組むことが大事になってくる。
この四年間、サッカーに対する熱い気持ちを感じないと言われ続けてきた。四年目にして早期引退という気持ちもあった。だが、二年間指導してくれた太智くん、安心感の無い自分を起用してくれたコーチの方に変わった自分を見てもらいたい。引退までもう時間はない。12年間やってきたサッカーを悔いが残るように終わらせるわけにはいかない。自分のサッカー人生にゴラッソを決める。(センターバックですが)