#47〜利他〜4年松下大樹
中京大学FC
『NO SOCCER, NO LIFE』のテーマをもとに4年生それぞれサッカーに対する思いを綴ってもらっています。
本日のブログは中京大学FC所属
松下大樹選手(青森山田高校出身/4年)です。
こんにちは、松下大樹です。
今回は引退に向けてのブログを書かせて頂ける
機会をいただきありがとうございます。
今までのサッカー人生を振り返りつつ
得てきたもの、今後の人生に活かせるものをここで記せたらと思います。
僕がサッカーを続けてこられたのは、
さまざまな人に支えられて、助けていただいたからです。
まず、一番に感謝を伝えたいのは親です。
小さい頃から、どんなに生活が苦しく辛い時も
サッカーを続けさせてもらい、送迎や用具の購入など
数え切れないほどのサポートをしてもらいました。
大学生になり少しは僕が負担できるようになっても、
やはり、親のサポートの上でのサッカーだと実感しています。
そして、サッカーに、僕自身に、常に真摯に向き合って
いただいた指導者の皆さん。一人一人に感謝を伝えたいのですが
振り返ると数え切れない人数の監督、コーチ、チーム関係者の方々や
友人の保護者の方など、様々な方にお世話になってきました。
僕のプレーについて、素行について、そして進路について
オン、オフ関係なくしっかりと向き合っていただき、
良いことも悪いこともたくさん話し合って来られたからこそ
僕は今までサッカーを続けることができたと思います。
最後に今まで出会った仲間、一緒にサッカーをしてきた
チームメイトのみんなに感謝します。
どんなにきついトレーニングでも、
みんなが励ましてくれて、頑張れたり
寮生活や下宿でもみんなと遊んで、ふざけて、笑い合ったりしたこと
本当に最高な思い出がいくつも蘇ってきます。ありがとう。
さて、上記のサッカー人生で様々な方への感謝と得てきたものを
どう今後に活かしていけるのかを考えてみました。
今回は引退に向けてのブログを書かせて頂ける
機会をいただきありがとうございます。
今までのサッカー人生を振り返りつつ
得てきたもの、今後の人生に活かせるものをここで記せたらと思います。
僕がサッカーを続けてこられたのは、
さまざまな人に支えられて、助けていただいたからです。
まず、一番に感謝を伝えたいのは親です。
小さい頃から、どんなに生活が苦しく辛い時も
サッカーを続けさせてもらい、送迎や用具の購入など
数え切れないほどのサポートをしてもらいました。
大学生になり少しは僕が負担できるようになっても、
やはり、親のサポートの上でのサッカーだと実感しています。
そして、サッカーに、僕自身に、常に真摯に向き合って
いただいた指導者の皆さん。一人一人に感謝を伝えたいのですが
振り返ると数え切れない人数の監督、コーチ、チーム関係者の方々や
友人の保護者の方など、様々な方にお世話になってきました。
僕のプレーについて、素行について、そして進路について
オン、オフ関係なくしっかりと向き合っていただき、
良いことも悪いこともたくさん話し合って来られたからこそ
僕は今までサッカーを続けることができたと思います。
最後に今まで出会った仲間、一緒にサッカーをしてきた
チームメイトのみんなに感謝します。
どんなにきついトレーニングでも、
みんなが励ましてくれて、頑張れたり
寮生活や下宿でもみんなと遊んで、ふざけて、笑い合ったりしたこと
本当に最高な思い出がいくつも蘇ってきます。ありがとう。
さて、上記のサッカー人生で様々な方への感謝と得てきたものを
どう今後に活かしていけるのかを考えてみました。
皆さんから受け取ったたくさんのものをこれから還元できるのか、
どう皆さんのためにアクションすることができるのか
自分以外の人のためにどのような行動が取れるのかを考えてみました。
しかし、なぜかそれは、とても利己的な理由になるのではないかという疑問が生じました。
僕が優しい人間であると思ってもらうために周りに優しいことをするというような
人の褒められたい、成長したと思って欲しい、だから利他的な行動をする
みたいな思考になってしまうのです。
また、良かれと思ってやったことも相手からしたら、ありがた迷惑だったり
本当は嫌だなと思わせる行動をとってしまうかもしれません。
利他だと思っている行為が本当は危ないんじゃないか…
それを問い直すと、利他的だと感じられるのは事後的にわかるのではないかという結論に至りました。
例えば、もう亡くなってしまっている方々が
あの時、不条理に対するアクションをすることで、民主的な生きやすい時代になったり
先生が言っていた言葉が今になって響いてきたりなど…
このことを踏まえると、利他的な行動の受け手になり感じることで
利他は初めて発動するのだと思います。
僕は過去にすでに蒔かれていた利他を現在受け手となり感じることで利他を開花させているのです。
ということは僕がこれからできる本当の利他は
未来を生きる子供達やこれから出会う人に向けた
より良い環境づくり、サッカーが安全に楽しくできるための
気候変動対策や、格差社会の是正など様々な社会問題に
アクションしていく、未来に向けたたくさんの種を蒔くことだと思います。
それを未来の人たちが受け取ってくれるかは
未来の受け手に託したいと思います。
おわりに、コロナ禍でいかに他者を思いやれるかが再注目されてきていると思います。
自己啓発本や弱肉強食、こんな時代を勝ち残るためのスキルなど、学生生活を通してもこのようなことを耳にすることが多くなった気がします。
だからこそ、誰かのことを気にかける。ケアする。みんなで考える。「しょうがないよ、そんなもんだから」を問い直す。そんな世界になることを僕は祈ります。
自分さえ良ければいいと僕も考えがちですが、
自分以外の人のためにどのような行動が取れるのかを考えてみました。
しかし、なぜかそれは、とても利己的な理由になるのではないかという疑問が生じました。
僕が優しい人間であると思ってもらうために周りに優しいことをするというような
人の褒められたい、成長したと思って欲しい、だから利他的な行動をする
みたいな思考になってしまうのです。
また、良かれと思ってやったことも相手からしたら、ありがた迷惑だったり
本当は嫌だなと思わせる行動をとってしまうかもしれません。
利他だと思っている行為が本当は危ないんじゃないか…
それを問い直すと、利他的だと感じられるのは事後的にわかるのではないかという結論に至りました。
例えば、もう亡くなってしまっている方々が
あの時、不条理に対するアクションをすることで、民主的な生きやすい時代になったり
先生が言っていた言葉が今になって響いてきたりなど…
このことを踏まえると、利他的な行動の受け手になり感じることで
利他は初めて発動するのだと思います。
僕は過去にすでに蒔かれていた利他を現在受け手となり感じることで利他を開花させているのです。
ということは僕がこれからできる本当の利他は
未来を生きる子供達やこれから出会う人に向けた
より良い環境づくり、サッカーが安全に楽しくできるための
気候変動対策や、格差社会の是正など様々な社会問題に
アクションしていく、未来に向けたたくさんの種を蒔くことだと思います。
それを未来の人たちが受け取ってくれるかは
未来の受け手に託したいと思います。
おわりに、コロナ禍でいかに他者を思いやれるかが再注目されてきていると思います。
自己啓発本や弱肉強食、こんな時代を勝ち残るためのスキルなど、学生生活を通してもこのようなことを耳にすることが多くなった気がします。
だからこそ、誰かのことを気にかける。ケアする。みんなで考える。「しょうがないよ、そんなもんだから」を問い直す。そんな世界になることを僕は祈ります。
自分さえ良ければいいと僕も考えがちですが、
サッカーを通じて出会ってきたたくさんの仲間や
指導者から発信されたものを、受け手という意識で考えると
皆さんからの利他的な行動は僕には重すぎるくらいたくさんのものでした。
それを恩返ししたい気持ちは多大にあるのですが、
現在のことばかりを考えて近視眼的にならず
僕はまだ知らない未来を生きる人たちのために
たくさんアクションしていけたらいいなと思っています。
また、未来の受け手やその次の人たちにも利他が巡っていくことを
願って終わりたいと思います。ありがとうございました。
皆さんからの利他的な行動は僕には重すぎるくらいたくさんのものでした。
それを恩返ししたい気持ちは多大にあるのですが、
現在のことばかりを考えて近視眼的にならず
僕はまだ知らない未来を生きる人たちのために
たくさんアクションしていけたらいいなと思っています。
また、未来の受け手やその次の人たちにも利他が巡っていくことを
願って終わりたいと思います。ありがとうございました。