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#51〜サッカーの本質〜4年福冨青

Chukyo univ.FC

『NO SOCCER, NO LIFE』のテーマをもとに4年生それぞれサッカーに対する思いを綴ってもらっています。

本日のブログはChukyo univ.FC所属

福冨青選手(星稜高校出身/4年)です

提出期限が過ぎまくっててなかなか書く内容が決まんなくて焦ってるんですけど、ちょっと振り返りながら書いていきます。では真面目にいきますぅ

小学校1年からサッカーを始めて、今年で16年目のサッカー人生になる。今年、大学4年になって本気でプロサッカー選手を目指したサッカー人生が終わりを迎えようとしている。引退が迫っていることを噛み締めながら練習や試合をすることが多くなった。その中で自分のサッカー人生を振り返る機会が今までより増えた気がする。小学生は、ただ楽しいサッカーをして、選抜に選ばれたものの輪の中でただやっていただけ。中学生は、小学生の頃とは桁違いであるJの下部組織での高いレベルの環境でやることになり、ついて行くのに必死で自分らしさを出せた覚えがない。高校生は、星稜高校というサッカー強豪校に自ら進み、輝く事を夢見ていたが、結局チームの中でただやらされる、どこにでもいるような選手の1人に過ぎなかったと思う。ここまでのサッカー人生はチームで勝つことなんかよりも自分に必死で自分が上に行く、自分が目立つことしか考えれていなかった。大学に入ると今までよりも確実に出場機会を得られる回数が増え、ようやくスタートラインに立てた気がする。2年の時にはチームとして全国大会にも出場できたし、東海のベストイレブンにも選んでもらった。個人として、目に見えた結果が出たのは初めてだったのでやっと自分のサッカー人生に誇れるものができたと思っていた。

自分自身にとって大きかったのは4年生になり、キャプテンを任されたことだ。今までの自分にとってキャプテンという役割からは程遠く、チームをまとめることやチームの選手全員に目を配ったことなんてない。それはチームが勝とうが負けようが自分のプレーが第一優先だったからだ。サッカーはチームスポーツと言われ、選手1人の力でどうにかできることなんてない。しかし自分はそのチームとして勝つ、自己犠牲を払ってでもチームの為にプレーするという根本が欠けていた。それを学ばせてくれたのが4年生になって今のCFCのキャプテンになったことだと思う。立場的に自分の事だけでなくチームに目を配らなければならないという事もあったが、チームのメンバーにも恵まれてたと思う。4年が3人しかいない中、2、3年生がチームを引っ張ってくれていた。就職活動で愛知選手権に出られない中、優勝して天皇杯予選にも連れて行ってくれた。東海選手権にも連れて行ってくれた。自分の力なしでここまで経験されてくれた。東海選手権決勝で負けて全国大会に出場できないとなった時にサッカー人生で初めて自分のプレー内容、試合出場関係なく、チームとして勝てなかったことに悔しいという気持ちになれた。そしてキャプテンという立場としてみんなを全国に連れていけなかった。みんなと死んででも全国に行きたいと初めて心底から思たからこそ悔しさしか残らなかった。これまでの自分なら、いいプレーしてれば良い、プレーが良くなかったから悔しいで終わっていた。この16年間の中の最後の1年で、サッカーというチームスポーツの本質を体感できたと思う。コロナウイルスの影響で納得のいく形で最後の1年を締め括ることは出来なかったが、このチームで最後だいすきなサッカーをして、最高なチームのキャプテンをして、チーム全員で掲げた目標に向かっていく1年はほんとうに最高だったし楽しすぎた。


自分を信頼してキャプテンに抜擢し、試合に出場させてくれた監督、あとの2人はキーパーながらもチーム全体を一緒に支えてくれた同期、そして頼りない先輩がいながらもチームを引っ張り最後まで戦ってくれて、ピッチ外で財布のように扱ってご飯を誘ってきてくれた2、3年の後輩には本当に感謝している。


最後に家族に書こうかな。

まずは姉。あんまり試合を見に来てくれたこともなかったし、多分興味もなかったと思うけど絶対自慢の弟だろと自負してるんだけどそうでしょ?なにかとは応援してくれてたんだろうなと思ってるからありがとう。

そして両親。恥ずかしいから長くは言えないし、絶対面と向かって言うと母ちゃんが泣くからここで言う。プロになるからといって振り回した自分のサッカー人生に付き合わせてごめん。それでも欠かさず毎週試合を楽しみにして見に来てくれて、応援してくれたことが自分には力になっていたと思う。最後の2年は試合見に来れなくて、毎週の楽しみがなかったねぇもっと試合見せてあげたかったわ。長い間本当にありがとうございました。